奇界劇場は南国土佐にあり・前編
少し前の記事でも書いたとおり今回の企画上映は「奇界な映画」である。
これは6月から同館で始まった「佐藤健寿展 奇界/世界」に連動したイベント上映となっており、8/20と21の二日間を使った毎年恒例"夏の定期上映会"にも当たっていたのであった。この定期上映会では2014年以降国産特撮映画がメインでプログラムが組まれていたのだけど、昨年から少し趣旨が変わって今年はとうとう邦画は一本もなくなってしまった。
※高知県立美術館、夏の定期上映会についての過去記事
とは言え昨年の「ホラー映画四本立て」はたいへん内容のある魅力的なラインナップだったし、今回の「奇界映画4本立て」になると未見の映画が三本もあるという、そう言う意味では期待値はかなり高くなっていたのが正直なところで(特撮映画が無いという寂しさも若干はありながら)
とりあえず順を追って一本ずつ感想を書いていきたいと思う。
「殺人蝶を追う女」(監督:キム・ギヨン/1978年/117分/韓国)
同美術館ではこれまでにもキム・ギヨン監督の特集上映が組まれて、過去作が何度か上映されたことがあったそうだが私は一本も見たことがなく、今回が初見になった(韓国映画が頻繁に日本へ入ってくるようになる前に活躍した監督さんということで、知っている人にとっては巨匠のお一人でもある。一番有名なのはポン・ジュノ監督が「パラサイト 半地下の家族」の時に参考にしたという「下女」になるのだろうか)
過去の作品データや今回の映画を見た限りだと私見では今ならテレンス・マリックとか黒沢清の色(これは漫画になるが少し楳図かずおも入っているように思う)に近いのではと言う印象を持ったが、とにかくこの「殺人蝶を追う女」は最初から最後までヘンな映画だった(__;)
テーマはおそらくキム・ギヨン監督の「私的死生観」であろうと思うのだけど、人が生きるか死ぬかを判断するのは当人の意志が全てなのだという主張が最初から最後まで貫かれており、たとえ肉体が滅ぼうとも強力な意志があればそれは本当の死ではないのだと言ったある種の宗教観・禅問答風解釈が延々と表現されている。
しかもそれが抽象的曖昧模糊なものではなく、なんともわかりやすい見せ方をしているのが最初の頃はおかしくて、たとえば上記リンクの解説にも書かれているが「何度殺しても生き返る老人との駆け引き」なんて、どう捉えてもドリフのコント(志村といかりやの対決みたいな( ̄▽ ̄;))にしか見えなかったのだが随所でそれを愚直に、しかもパターンを変えて演出されているのを見続けているとだんだん笑えなくなり、途中からはマジメに見入ってしまうようになっていったのである。
それで思い出したのが私の心の師でもあったライターの故・富沢雅彦さんが生前「アニメック」に書いていた文章で、そこには下記の様なことが綴られていたのであった(結局富沢さんは30歳という若さで病死されたのだが)
「この世界には何の意味もないのであるという想いが根底にあって、その中で人間が生きることは是か日か、そのメーターが胸の中にあって事に応じてそのメーターが左右に揺れ動く」
即ちそれは己の意志でどのようにでも出来るという事でもあり、最後の最後で生体活動を停めるのは肉体的な問題ではなく、あくまでも心の問題なのだということを仰ったのだろうと推察しているが、この映画はまさにそんな話を小刻みに展開してく作品だったように感じられたのであった。
一見難解なテーマで小難しい話ではと思わせつつ、土台はエンタメの要素もあるのと先に書いたような表現方法の明瞭さというのが混在しているため、わりと一気に見られてしまう映画でもあるかな。それと70年代韓国の生活風習等がわかる側面も有していたので、歴史紀行物の面白さも含まれていると思う。
「渚の果てにこの愛を」(監督:ジョルジュ・ロートネル/1970年/95分/フランス=イタリア)
これもまったくの初見映画。主要キャストでは「宇宙大作戦」第2話"セイサス星から来た少年"や「刑事コロンボ」第23話"愛情の計算"にゲストで出ていたロバート・ウォーカーとリタ・ヘイワース(1940年代に活躍したセクシー女優で「ショーシャンクの空に」では彼女のポスターがアイテムとして使用されている)しか知らなかったけど、主演女優のミムジー・ファーマーは近年カルト映画のヒロインとして全国的に再注目されていたそうである(この「渚」と同時期に出演した「MORE/モア」が今になって各所のミニシアターで上映されている)
確かにこの映画を見たら彼女の魅力が占める要素はかなり高く、この人の肉感的ビジュアルと起伏の激しい情熱演技は内容にぴったり合っていたように思えた。
じっさい話の方は70年代サスペンスと言うことで今日的視点だとオチは予想の範疇で終わっていくのだけど、この誰しもがわかっているラストに向かって一緒に入っていく気持ちの良さというのか、最近の映画みたいな投げっぱなしで終幕するような「観客ほったらかし感」がなかったのも個人的にはたいへん痛快な(ストーリーはアレなんで言葉の使い方としたら間違ってるけど(ーー;))エンディングであるとも思えたのだった。
これも女優さんの良さが映画の印象を好意的に盛ってくれた故の結果であると言いたいし、オレはなんで今までこの人に気がつかなかったのかというくらい遅まきながらファンになってしまったのである。で、調べたら「コンコルド」とか、ダリオ・アルジェント監督の「四匹の蠅」なんかにも出ているそうで、思わず自分の録画ライブラリーを漁ったが見つけることが出来ず(この二本は見ているはずなのだよ)今後は放送・配信チェックの必要性をより感じている次第である(ソフト買ったらええがな!って言われたら終いですが(^◇^;))
この気分は去年「ウィッカーマン」で元ボンドガールのブリット・エクランドを見たときとよく似た心境。知っているようで知らない(または勝手にスルーしてしまった)素敵な女優さんがこの時代はいっぱい居たと言うことなのでしょうな。
と、いうことで少し長くなったので分載する。残りの二本は次の記事で。
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