なんとなしに宴のあと
遡れば中島哲也監督の作品は「バカヤロー!私怒ってます」「下妻物語」「嫌われ松子の一生」「パコと魔法の絵本」「告白」と一通り見てきたつもりである。 そのすべてに共通していたのは鑑賞前印象の掴み所のなさというか(選ばれた原作と最初に見る予告編のイメージがなかなか一致しない感覚)実際に本編を見出すと必ず途中から「あ、これはこういう映画なのか?!」と思わせるところにあると僕は思っているのだ。
前作の「告白」では原作がすべて登場人物の独白で進むスタイルの小説だったためにホントは何が正しかったのかはわからない、まるで真ん中にサイコロを置いて各自が見えている数字を語っているような(つまり言っていることは皆違うけど誰も嘘はついていない)ミステリーとしてはかなり巧い作りになっていたのだけど、これが映画版になると導入部は同じ様式を踏襲したかのように見せかけて、途中からはあっという間にエンタメの方へと針路が向き出し、終わってみたらなんだよこの映画「痛快娯楽復讐物語」ではないか(いつもの如く僕個人の感想なのでアテにはしないように)と言った心地よく詐欺にあったような感じがしてひじょうに面白かったのだ(過去作にはこの"○○と見せかけて実は○○な映画なんです"という確信的ミスリードが常にあり、そこにポップな映像センスだけではない中島映画の魅力の一端があると僕は思っているのである)
ところが困ったことにこの「渇き」は過去作と同じような基本ストーリーをホンの少し逸脱して、やや違う方向へ流れていくというスタイルを持ちながら、その流れがいつまで経っても気持ちよくなっていかないのだ(但し「次はどうなるんだろう?」という興味は果てしなく続いているので映画を見ている間はあんまりよけいなことを考えるヒマはない。この感想はすべて映画終わりで感じたこと)けっきょく見終わってアタマに残ったのは「役所広司がひたすらコ汚い」( ̄。 ̄;)とか「妻夫木ウザい」と言ったすべて断片的なモノになってしまい、いつもの中島映画にあった華麗なテンポ(殆ど視聴覚的快楽に近いリズム)は影を潜めていたような気がするのだ。

ただ、上でも書いたけど部分部分はとても良くて、たとえばオープニングタイトルの無意味な格好良さはなんなんだ?と思ったし(ウェスタン映画みたいな構成でビックリしたなあ・・・)先の予想が一切立たない面白さはあるので、いつもの中島映画と思わなければある程度は楽しめる要素もあるかも(でもねー、僕はどうしてもこの内容でやるならR18にしてでもきっちりハダカやゴアシーンを見せないと、何処まで行っても上っ面だけのハード映画にしかならないとも思ったなあ。結局そこが中途半端だったから劇中で酷いことをやり続けているのに、実際の画になると"ココまで止まり"になってしまったんだろうし←話の中身を考えると韓国映画の「悪魔を見た」くらいのことはやってもよかったんじゃないか)
そして映画終わりで脳内補填するため原作の「果てしなき渇き」の方も読んでみたが、これは順番を間違えたかもしれないな。先にこっちを読んでそれから映画を見ればもう少し違う気分で臨めたかも(僕個人は原作<映画の方が面白いと思ってしまっただけによけいそう思えたよ)と、色々文句も書いたが、パートパートのパンチは間違いなく効いているので、一回見てみるだけの値打ちはあるよと言っておきたい。
二本目は8/15のザ・お盆な日に見た「思い出のマーニー」
日中仕事場では出社率二割を切った寂しいオフィスで電話も鳴らずメールも届かず、虚しいヒマヒマ仕事で時間を過ごしたのが心底不毛に思え、仕事終わりは阿波踊りにも行かず気分転換のため映画館へ向かったのだった。4月からシネマサンシャインは15日もサービスデーになったので、どうせなら二本見てやれと思いひとつは二回目の鑑賞となる「GODZILLA」2D字幕版(初回は3D吹替で見ていたので)を21時から。もうひとつの18時台に何かないかと調べたら時間帯としては「ドラえもん」か「思い出のマーニー」しかなく、最初は「ドラえもん」を見る気でいたのだけど直前につかりこさんのブログで「マーニー」のレビューが書かれていたのを読ませていただいた。そしたらとても見たくなってしまい(^_^;)ドラえもんを徳俵でうっちゃった形で「マーニー」(これだけ書いたらヒッチコックの映画みたいだが(__;))に行くことに決定。
基本この映画については全然予備知識もなくジョアン・G・ロビンソンの原作も読んだことはなかったので、ほぼ白紙の状態で鑑賞に臨んだが、最初はちょっとオレの趣味には合わないかな~という出だしで若干の不安に襲われてしまったのだった(__;)と、言うのも主人公の杏奈という一二歳の女の子が思春期女子独特の万年ノイローゼを抱えたような(僕には10歳と15歳の姪がいるのだけど、気まぐれで移り気で好き嫌いがコロコロ変わるこの年代の難しさ・面倒くささをリアルに体感しておるのである)描き方をされていて、そんなものをこの先ずっと見せられるのかと思うと、あーやっぱり「ドラえもん」にしておけば良かったかも、と後悔しそうになっていたのだ。
しかも杏奈のキャラがわざと感情を見せないようにして心に壁を作っていながら、そのくせ本当は愛されたくて仕方がないのにそのことを知られたり悟られたりするのが異常に怖い、でも自分が傷つくのもイヤで常にシラっとした態度をとり続けているという、僕のようなオッサンからしたらもう鼻持ちならないむかつくガキになっていたのがますますこの映画に対する不安を助長していたわけである。
ところが静養先で出会ったマーニーという女の子との邂逅が彼女に変化を与え心を解しと言う展開になり、その後はあれほどウザいと思っていた杏奈の言動にどんどん感情移入しちゃって、中盤からはもう完全に物語の中へと没頭していたのだった。
さらにぼくがこの映画でいちばん驚いたのはマーニーの存在に対する劇中での答えで、どうして杏奈はマーニーと出会えて親友となり、あれほど人との深い繋がりを拒んでいた彼女がマーニーに心をあっさり開いたのかというところだが、最後の最後でそれは一気呵成に明示されるのだけど、もうそこで僕はなるほどな!と心の底から得心したし自分のことで言うとこの日8/15というのはとっても特別な日でもあったので(詳細は書けないけどホント超・偶然)その瞬間それがピンポイントで己の琴線にヒットしてしまい、恥ずかしながらいい年して我が輩涙が出そうになってしまったのである(T^T)
最後まで見て正直にこれはとってもイイ映画だったと思えたし「GODZILLA」への繋ぎどころか(^_^;)この日はこれで帰っても十分なくらいだと、おかげて実りなく邪魔くさかっただけの盆仕事のこともすっかり忘れることが出来たのだった(結局「GODZILLA」は見たんだけどね(^◇^;)←気分転換としては最高の二本立てとなったなあ)ふだんアニメは滅多に見ないのだがこれはホントに良かったよ(そんなわけで「マーニー」を見る気にさせてくれたつかりこさんには感謝しております、誠にありがとうございました<(_ _)>)
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