墜ちてゆくのも幸せだよと
そんなわけでこれは1月10日のはなし。年が変わってからやっと夫婦で映画館に行く事ができたのだけど、新年一発目からこんなに面白い映画に当たるとは幸先良いと思っておかないとイカンな。直前まで「永遠の0」と「ゼロ・グラビティ」のどちらのゼロ映画にするかで家庭内意見調整を行った結果、この日は「グラビティ」の方に決定し、「永遠」の方はもう少し先延ばしとなったのだった(これだけヒットしておれば一月末までは確実に上映しているはずだし)
「ゼロ・グラビティ」
自分の周りでは既に見て来てた人も多く、ブログ仲間の皆さんも鑑賞済みの方が何人もいて殆どの人から好意的な感想で迎え入れられていたこともあり安心感と期待の入り交じった気持ちをキープしたまま見たのだが、上映時間90分で己から湧き上がってきた集中力はとんでもない高さがあったようである(ーー;)(おかげでドっと疲れたな・・・)
映画ファンも長いことやってると年齢と共に大概のことには驚かなくなって劇場やテレビの前では殆どふんぞり返りで構えていることが常となっしまうところがある物だが(ちょっとエラそうに上から目線で「けっこう頑張ってるやん」みたいに(ーー;)イヤな見方してる方が多いような気がするな。時々ビックリしたり感心したりして前のめりになることもあるけれども)この映画みたいにずーっっと前傾姿勢で次どうなるんだろうと不安感に苛まれた映画は久しく無かった。
本編の九割近い舞台として登場する宇宙空間での体験など当然ながら自分にはないので(__;)アレのどこまでが科学考証として正しいのかは知る由もないが、少なくとも「呼吸ができない苦しさ」というのは自分でもわかる。そのため冒頭から徹頭徹尾酸素切れとの戦いが続くのを(またそういう場面を常に用意しているのは後から思うと見せ方としては旨いなと思えたが)眺めているとこちらまで過呼吸を起こすのではないかと思うほどの苦しさを意識として共有できたし、同様に宇宙という上下左右の存在しない不安定な空間の中で自分だけが居ることの寂寥感や、待避できる場所がどんどん狭く小さくなっていく事への閉塞感なんかが数分おきにどんどん大きくなっていくのは見ているこちらも主人公のサンドラ・ブロックの心境に限りなくシンクロしていく錯覚を生んでいたと思うのである。
しかもこれ物語としては"宇宙飛行士がトラブルで大変なことになりました。さて、どうでしょう?"という初期のダウンタウンの漫才みたいなネタを一気呵成且つマジメにやってるそれだけの話なので、上に書いたようなすれっからしの映画ファンが「ふふん、どーせこうなんでしょ」とか「ほほー、そう来ましたか」みたいな腕組んでニヤニヤするような猶予など一切与えてくれてはいないのだ。なので「90分前のめり」というのは冗談でも何でもなくて映画始まって五分後には絶対そうなるよと(ーー;) 未見の方には余計なお世話的予告もさせていただきたい。
説教臭い部分も全然無いし枝葉も伏線もなにもないオンリー脱出劇の娯楽作(死体の見せ方とかはなかなかホラー風の描写であのあたりはショック的隠し味としても効いている←この辺もホントに人間の体があんなことになるのかどうかわかんないけど、あれだけ展開が早いとたぶん途中から科学的リアリティなんか特に気にはならないと思うよ)として端から端まで楽しめる傑作だったなと僕は思っているのである。
ちなみに自分が見に行った劇場ではノーマル3Dでの上映だったが、もしこれがIMAXでやっていたらホントに酸欠で倒れるんじゃないかと、そんな心配をもしそうになってしまった(@@;)(劇場によったら真剣に"紙袋必須"とかになったりしないのかと)
それから役者サイドではサンドラ・ブロックも映画と言うことを考えたらもう少し綺麗に映るような形を取ってもおかしくないと思うのだけど、本作ではただのガタイが良いおばちゃんにしか見えないのが宇宙飛行士(科学者)としての説得力を生んでいたようにも感じたし、ジョージ・クルーニーの方は逆に何処までもカッコ良い映画らしいキャラ設定になっていたのが二人芝居メインの中では適度なバランスを形成していたのではないかと個人的には思っている。
そして最後まで明かされなかった「半ズボンの毛むくじゃら」とは何か?或いはこれが続編へ繋がるキーワードなのかもしれないなと少し余裕を取り戻してふんぞり返る体勢に戻った私は今そんなことを想像しているのである(そんなもんあれへんあれへん( ̄。 ̄;))
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